2020/07/07

方位

※表は方位磁石、裏はキルビメーター(地図上で距離を測るもの)。

ちょいと気になったこと。方位(方角)のことなのであります。

地理的表現では東西南北の4方位に加えてその間を加えた8方位を示すにあたって、北東(NE)、北西(NW)、南東(SE)、南西(SW)の表現(表記)が使われる。

ところが、表現的には東北地方(普通に使う)、東南の角地(不動産用語)、西南諸藩(歴史的表現)、都の西北(早稲田の校歌)と東北、東南、西南、西北の方角表現がある。

ヨーロッパ世界は古代ギリシア・ローマ時代の地中海世界から、中世になるとヨーロッパは大陸内陸部に比重が高まってくる。とはいうものの、中世は依然として地中海世界(イタリア)に目が向いてた。つまり、地中海世界という「南」と内陸部の「北」が世界の基準。16世紀に入って地中海から大西洋へと舞台が変わって、さらにアジア・アフリカへとグローバル化するものの、古代・中世で形作られた南北の意識は絶対基準として確立されたのだと思う。

それ故、ヨーロッパ世界では方位も北東、北西、南東、南西の北か南かが最初の位置基準となった。

それに対して、日本は西から東へとその歴史舞台は変わってきた。邪馬台国の九州説と畿内説はさておいても、古代・中世は日本の西に社会基盤があり、鎌倉政権の樹立以後、東へとその舞台は変わる。江戸幕府の成立は西の京都と東の江戸、東西が社会の位置づけとなる。政権を握っても西の京に一目をおき、下り酒と称されるように伊丹・池田の酒を珍重。東西の位置関係は絶対。

ま、それは置いといて、混在化した表記がそれなりに使用されてる面白さが、日本なのだと思うのであります。柔軟に各文化を取り入れ、それを昇華した日本文化の良いところだと。

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